母の死2009年11月01日 13時50分

チューリップの花壇

去る10月13日、母が他界した。享年72才だった。

_____________________

 10月6日、一月ほど前から入院中の母の容態が悪くなったと病院から連絡を受けた。父と共に病院に駆けつけたときには状態は比較的安定していた。しかし今日は一旦帰ろうとした頃、再び母の病状が悪化し血圧もかなり低下した。呼吸も荒くなり意識もほとんどなくなった。そして急遽、集中治療室に入ることとなった。母に声を掛けると、かすかに聞き取れるかどうかの返事をした。母と交わした最後の会話だった。    

 今日でもうダメか。そう思ったが、人工呼吸器を付け、点滴により血圧を高めることで、母の容態は少し安定し、自分と父も一旦家に帰ることを勧められた。何かあったときにはすぐに家に連絡を入れると言われて。  

 結局、その日は病院からの連絡はなかった。ひとまず容態は安定しているらしい。しかし、自分は風邪をこじらせ、二日間寝込むことになった。

____________________

 10月13日、深夜3時。窓を叩き父の呼ぶ声で目が覚めた。母の容態が悪くなったらしい。急いで着替えて病院に向かう。集中治療室に入ると、母の血圧は50まで下がっていた。担当医の先生の話では、朝までもつかという状態らしい。自分と父、駆けつけた姉と共に母の側で励ますことしかできない。

 1時間ほど経っただろうか。看護士から待合室で休憩することを勧められる。自分と父は一旦待合室に戻る。自分はコーヒーを買いに外に出た。病院の外の自動販売機で缶コーヒーを買う。空はまだ真っ暗。自分の今置かれている状況が、とても不思議に思えてくる。

   20分ほどして帰ってくると、待合室に父がいない。もしやと思い集中治療室に入る。母の血圧は30まで下がっていた。母の手を握り、頭を撫でる。まだ手は暖かく、顔は汗をかき確かに生きている。しかし集中治療室に置かれたモニターが示す血圧は、徐々に、徐々に下がっていく。20・・・10・・・。 そして血圧は3から動かなくなった。主治医の先生が、モニターと人工呼吸器のスイッチをパチン、パチンと切った。それまで煩いくらいに鳴っていた電子音と人工呼吸器の空気音が消え、一気に静寂が訪れた。午前5時30分だった。

 それからは、看護士の支持で待合室で待つ。その間に自分は葬儀屋に電話し、母を自宅まで連れて帰ってもらう手配をする。1時間後、再び呼ばれて再会した母は、人工呼吸器や多くの点滴の管が取り外されていた。表情も穏やかで本当に眠っているだけのように見えた。

 母を乗せたベッドと共に関係者専用のエレベーターに乗り、病院一階の安置所に移動する。そしてすでに待っていた葬儀屋のストレッチャーに母を移す。朝もやの中、母は車に乗り、父と共に久しぶりに家に帰った。自分と姉は病院から出発する車を見送った。医者の先生や看護士も見送ってくれた。まだ自分よりも若いであろう主治医の先生が、泣きそうな顔をしているのが印象的だった。母がお世話になったことにお礼をいって、自分達も病院を後にした。

 実家に向かう車を運転している最中、色々なことを考えた。今までのこと、これからのこと。そしてこの時が一番母の死を実感した時だったのかも知れない。

 その後は、葬儀屋との通夜と告別式の打ち合わせ、来客の対応などに追われた。特に今回は自分が喪主を務めるということで多忙を極めた。本当に悲しんでいる暇などなかった。

___________________

 10月15日、葬儀が終わった。やっと全て終わったことに安堵感を憶える。そして先週からの風邪がぶり返し二日ほど寝込むことになった。      

___________________

 

 最近、やっと生活が落ち着いてきた。生前、母が世話をしていた小さな花壇。母が入院してからは、草が生い茂り、荒れ放題だった。今日、土を入れ替え、子供の好きなチューリップの球根を植えた。花が咲くのは5月ごろらしい。

   

  蔦は絡まり 身は朽ち果てて

  思い出の欠片 土に帰り

  また 花となるでしょう

 

  また 春に会いましょう  

     (hide「HURRY GO ROUND」より)

コメント

コメントをどうぞ

※メールアドレスとURLの入力は必須ではありません。 入力されたメールアドレスは記事に反映されず、ブログの管理者のみが参照できます。

※投稿には管理者が設定した質問に答える必要があります。

名前:
メールアドレス:
URL:
次の質問に答えてください:
↓に「sakanade」と入力してください。

コメント:

トラックバック